旅行13 5日目、アンコール・ワットの朝日とバンテアイ・スレイ

旅も5日目となり、いろいろと面倒くさくなる前に、アンコール・ワットの朝日を見ておきたい。早朝の天気がさっぱり分からないので、この日に行く事に決めた。前日の観光を終えてトゥクトゥク運転手に料金を支払う際に、次の日も1日チャーターしたいと頼んでおいた。


朝日を見てから近場の郊外遺跡へ行きたいと希望すると、早朝+郊外の割増し料金の30US$で決まり。5時にホテルの入口で待っているように言われる。ご、ご、ご、5時!! 日が昇る前に行かなきゃいけないけど、5時!!


というワケで、真っ暗けの早朝5時。この時の気温30度。日の出前なのに30度!! とはいえ、灼熱の日中に比べればかなり楽に感じる。暑い事は暑いけど身体がつらくない。フツーに暑いと感じるくらい暑い。うっすらと汗をかきながら外で待っていた私は、東京の冬に着るような厚手の上着で現れた運転手に本気で驚く。しかも仕草が寒そう。いやいや、充分に暑いんですけど。




乗ってすぐに給油。客を乗せる前に給油しておこうなどとは考えない。



 
チケット・チェック・ポイントを過ぎると、アンコール・ワットに向かうトゥクトゥクや乗用車が列になっていた。



■05:25〜06:50
1) 「アンコール・ワット」Angkor Vat
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、内乱・戦争で混乱(1100年頃)、◎クメール文化の頂点(1200年頃)]


今回の旅で2度目のアンコール・ワット。この完璧な構図にいちいち目を奪われる。クメール建築は通常は東を向いているけど、アンコール・ワットは西向きのため、太陽は建物の後ろから昇るってくる。後光が差しているような幻想的な夜明け。素敵ー!!


    
西塔門から中へ。雲が多くて心配・・・。



 
聖池前で朝日を待つ人たち。しまった出遅れた!! 右の画像は帰る時に撮影した7時少し前。
映画「トゥーム・レイダー」の中でアンジーが、この聖池にズラリと浮かんだ小舟の上で僧侶から衛星電話を借りるシーンがあったな。大嘘もいいとこだな。



人垣の後ろから、右へ左へ、右へ左へ、右へ左へと歩きまわり、撮影する場所を探す。どこかいい場所はないものか。早く、早く、太陽が昇っちゃう。右往左往で見回していると、後方にある下水溝の上で私の脳内探索センサーがピピピッと反応、ロックオン!! 少し高くなっていて、その近くだけがぽっかりと誰もいない。やった穴場発見、ラッキ〜♪


急げ、急げ。小走りで向かう。みんなこの場所に気付いてないの? やだもう、私って超ラッキー!! 急げ、急げ。撮影場所も決まりホクホク顔でカメラを構えると、視界の下の方で何かが動いている気配がする。下水溝の淵から足下30センチの底で、何やらバナナ大の銀色の塊が・・・動いている?


んーーー? 何だろう? 小さな花が揺れている。風の抜け道かな。下水溝の淵へ一歩踏み込んだ瞬間、無数の蠅がぶわっと舞い上がった、ギャー(心の叫び)、すぐに塊に舞い戻った、ギャー(心の叫び)。


極太のフレッシュなウンコに蠅がびっしり、蠅がびっしり、蠅がびっしり!! 誰だ、世界遺産にウンコした奴は。少し離れた場所に犬が一匹うろついている。お前か!! お前のウンコか!! どうりでこの周りだけ誰もいないワケだ。ウンコめ、こんにゃろう!!


ウンコ蠅とは関わり合いになりたくないけど、この場所からは離れたくない。蠅が飛び立たないように、なるべく音を立てないように、太陽が雲から出てくるのを静かに待ち続ける。周囲に動きがなければ、蠅は「ワサワサ」と小動きしているだけ。この調子で頑張ろう。


その後、あそこは人がいないよラッキー♪ と気付いた観光客が、ときどきやってきた。彼らが「フライ、フライ」と、派手なリアクションで驚く度に、蠅がぶわっと舞い上がってはウンコに舞い戻っていく。静かにしろ、このバカちんが!! しばらくして、また近づいてきた人たちが「フライ、フライ、フライ」と騒いで覗き込んで手を叩いて大笑いして、蠅がぶわっと舞い上がっては、またウンコに舞い戻っていく。ギャー!!


  
だんだんと明るくなってきたけど雲だらけ。


 
なんとか太陽が出た。


06:50〜07:50

アンコール・ワットからバンテアイ・スレイまで、トゥクトゥクで約1時間。


■07:50〜09:30
14) 「バンテアイ・スレイ」Banteay Srei (見学時間目安60〜100分) ★★★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、◎内乱・戦争で混乱(1100年頃)、クメール文化の頂点(1200年頃)]


967年に王の側近のバラモン僧、ヤジュニャヴァラーハが建立。バンテアイ・スレイとは「女の砦」という意味で、壁面に彫られたデヴァター(女神) に由来する。アンコール・トムから約30km離れた場所にポツーンとあって、1時間もあれば観終わってしまう小寺院だけど、鮮やかな赤色砂岩の美しさはビカイチ。超絶細かい立体的な彫りが施された壁面は、寺院自体がきらめく宝石箱のように感動的。




     
歩いて、歩いて、案内板。歩いて、歩いて、歩いて、チケット・チェック・ポイント。歩いて、歩いて、やっと東門に辿り着く。




魔王ラーヴァナがシータ姫を誘拐するところ。



 
ラテライトの参道の両脇には、リンガを模した像が並んでいる。その先には第一周壁の門。



 
ヴィシュヌ神の化身「ナラシンハ」が、阿修羅王を組み伏し殺そうとしている場面。



     
      




白鳥に乗ったブラフマー神と、その両隣にシンハ(獅子)。



 
カーラの上に座るヴィシュヌ神。最も美しいとされる第二周壁の塔門で、50R紙幣に描かれている。



   
踊るシヴァ神。左で座っているのはカリーカラミヤ王妃、右の雷神インドラ神は太鼓を叩いている。




ヴィシュヌ神の妻ラクシュミーが、ゾウの聖水で身を清めてもらっている。下部にはガルーダとナーガが描かれている。



       



  
半身半獣の守護神座像。後ろの彫刻は門衛兵デヴァラパーラ。
獅子頭(ヴィシュヌの化身ナラシンハ)、鳥頭(ヴィシュヌの乗り物の聖鳥ガルーダ)、猿頭(猿の王国の軍隊長ハマヌーン)、縮れ毛頭(森や樹木に棲む精霊ヤクシャ)




ところで、この寺院の見所として真っ先に紹介されるのが、「東洋のモナリザ」と称されるデヴァター(左端)。若き日のアンドレ・マルロー(仏作家) が、このデヴァター像に魅せられ、壁面から剥ぎ取って盗み出したことで一躍有名になったそうだ。盗むなバカ野郎!!


おかげでこの小寺院が注目されるようになったけど、デヴァターが戻ってきて本当に良かった。ウィ○ペディアによれば、禁固3年の実刑→執行猶予1年。後にこの体験を基にした『王道』という小説を書いているそうだ。ちゃっかりしてる。



    
「東洋のモナリザ」のある寺院の中央部分は、遺跡保護のためのロープが張られ、数年前から間近で見ることができなくなっている。残念!!



デヴァターはすぐに見つかり写真を撮りまくって、次の角を曲がってびっくり。そっくり同じようなデヴァターが何体もあった。うそー!! 案内板などはないので、どれが「東洋のモナリザ」なのか迷う。かなり迷う。相当迷う。ガイドと一緒に来ている観光客を探して、さりげなく盗み聞きしてこよう。・・・個人で来ている観光客しかいなかった。他の人もデヴァターを探しているような感じ。


どう頑張っても正面から撮影できないものや、塔の死角になってしまうもの、著しく破損しているものは違うと思うけど。地球の歩○方の写真と見比べて見ても、いまいち確信が持てない。



         
あれかな? こっちかな? 双眼鏡を持ってくれば良かった。地球の歩○方では顔が左を向いているけど、ラ○チッタでは右を向いているのだ。どっちだよ!!




本物(?)はアンドレ・マルローが盗み出した時に、鼻が欠けているらしい。カメラの3倍ズームでは鼻までは見えなかった。どーれーなーのーだー!!



片っ端から撮影しておけば、どれかは合っているだろう。そんなテキトーでいいのか。デヴァターはどれもエキゾチックな魅力があるとは思うけど、いまいちスペシャル感が薄かった。私の『輝け! 世界の観光名所10大がっかり』にランキング入り。但し、この遺跡自体は素晴らしく美しいので必見。自分がピーンとくるデヴァターを見つけたら、それが「東洋のモナリザ」だという事で。負け惜しみか!! すみません。結局どれなのか分かりませんでした。



 
私がピピーン!! ときたデヴァターはこちら。北塔(左) の向かって右側。



 
猿王スグリーヴァと、彼の妻と王座を奪った兄ヴァーリンとの闘い。とっくみ合いの兄弟ゲンカ、ウキー!! 右側はスグリーヴァに加勢し矢を射るラーマ王子。サルの足の指が恐ろしく長い。



  
西門付近は崩れかかっている。




カーラかマカラではないかと。



 
第一周壁の外側から中心部を見たところ。




戦争で肉体の一部を失った人たちが募金活動をしている。




カフェ


       
土産物屋が並ぶ。