旅行12 4日目、アンコール・トム王宮内とその周辺の遺跡

旅の4日目の続き。夕食の予約を済ませて一安心したところで、この日は王宮内とその周辺の遺跡を細かく回っていく。一辺が3km四方の城壁に囲まれている『アンコール・トム』の中心寺院が、前日に訪れた、3)「バイヨン寺院」。敷地内の北側に小規模寺院が集中してあるので、徒歩で遺跡巡りができる。


 




左に見えるのが、6)「象のテラス」。


10:30 アンコール・トム内「象のテラス」到着。「食事をするなら昨日と同じ食堂。帰る時に運転手に声を掛ける。」という、トゥクトゥク運転手と緩い打ち合わせ。ラジャー!!


それだけ。ってそれだけ? こんな大雑把でいいのか。運転手とは「待ち合わせ場所」の確認をしただけ。おおよその時間すら決めずに待っていてくれる。日本で庶民の私には、かなり気が引けるんですけど!! ホテルを出発する際に、料金と観光エリアの確認をしただけで、ホテルへ戻る時間も決めていない。観光にどのくらい時間が掛かるのか見当もつかないので、フリーの観光客には大変嬉しい。


ちなみのこの時は、10時半にトゥクトゥクを降りて徒歩で観光。運転手は近くのトゥクトゥク待機スペース(※) へ。12時半すぎに食堂で食べていると、どこからともなく現れた運転手がチラッと顔を見て、特に言葉を交わす事もなく再びどこかへ。14時半に観光を終えて待機スペースへ向かって歩いていると、こちらが見つける前にトゥクトゥクで来てくれて無事合流。



 
(※) トゥクトゥク運転手たちの待機スペース。



  
客が観光している間、昼寝して待っているトゥクトゥク運転手。恐ろしく暑そう。



●「アンコール・トム」Angkor Thom 
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、内乱・戦争で混乱(1100年頃)、◎クメール文化の頂点(1200年頃)]


12世紀後半、多くの仏教寺院を建立し、“建寺王”とも呼ばれたジャヤヴァルマン7世によって、旧都の上に築かれた城塞都市。


ジャヤヴァルマン7世は、チャンパ王国から王都を奪還し、輝かしい功績を残したカンボジア人が最も尊敬する王。「カンボジアン・カルチャー・ヴィレッジ」のショーを観た時に、ジャヤヴァルマン7世が登場したときの大歓声と、観客たちの熱烈リアクションに、本当に人気がある王だと感じた。大乗仏教を篤信した王は、多数の仏教寺院、道、橋、宿駅、102の施療院とジャンジャン整備したので、後に財政が大変な事になったらしい。ジャヤヴァルマン7世、バンザイ!!


カンボジア旅行を決めて調べるまでは、『アンコール・トム』という名称の寺院があるものだと思っていた。「アンコール・ワット」みたいな感じで。ていうか、私だけじゃないはず!! トムはカンボジア語で“大きい”という意味で、アンコール・トムとは「大きい都」という意味。どうりで旅行会社の「アンコール・トム」のイメージ写真が、南大門だったりバイヨン寺院だったり、何だかはっきりしないワケだ。


「アンコール・トム」は、一辺が3kmの正方形を成しており、壕と高さ8mの壁が全長12kmにわたって取り囲んでいる。いまいちスケール感が掴めないので検索してみると、総延長が日本一の長さで有名な「高松中央商店街」の全長が2.7kmだそうだ。この商店街を4本使って正方形を作って、それより少し大きいイメージで。遠いイメージすぎてさっぱり分からない。身近で3kmの直線の場所がなかなか見つからず、皇居の一周が約5kmらしい。うーん、余計に分からなくなった。


「アンコール・トム」への出入口は、南・北・西に1門、東の中央に「死者の門」と、王宮に直結する「勝利の門」が開いている。シェムリアップの街から向かう流れで「南大門」から入るのが一般的。正方形の敷地に、十字に道が通っていて、中心寺院の「バイヨン」でトゥクトゥクを降りたら、後は徒歩で寺院遺跡巡りができる。道なりに歩いていけば次の寺院遺跡が見えてくるので、なぜか目的地から遠ざかってしまう方向音痴の私でも、迷わず次に辿り着く。



上から見るとゼビウスみたい。アンコール・ワットアンドアジェネシスくらい大きい。


2) 「南大門」South Gate
3) 「バイヨン」Bayon
※別の日に観光。


■10:30〜11:50 (見学時間目安50〜80分)
4) 「バプーオン」Baphuon ★★★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、◎内乱・戦争で混乱(1100年頃)、クメール文化の頂点(1200年頃)]


王宮の南に位置するピラミッド型の寺院。11世紀半ばにアンコール都城の新たな中心寺院として築かれた。シヴァ派のヒンドゥー教。バプーオンとは、「隠し子」という意味を持つ。なんでだ!!


地球の歩○方の説明によれば、タイの王からの申し出により、カンボジアの王は喜んで王子を預かった。ところが、臣下たちは国を奪われると危惧し、えー? そう言われると何か心配になってきちゃったよ〜、と思ったか思わなかったか、王が王子を殺害。国へ返そうよ!! そして、怒ったタイの進攻に備えて、我が子の身を案じた王妃が、寺院に王子を隠した伝説に由来するそうだ。そりゃあ怒るだろう。


  
バプーオンの東塔門



  
東塔門から続く浮橋状の参道。約200m




参道から東塔門方向



 
脳天カチ割りの直射日光が強烈に暑いので、参道から木陰へ直行。いきなり休憩で。



      
東入口の階段は上れない。時計回りで南側へ



   
またもや急勾配の階段が。踏み板が狭く、階段の向こう側が丸見え




階段の真ん中辺りでひと休み



 
祠堂(上れない)




まっすぐに直したい




参道方向



       
上はこんな感じで



    
回廊



 
東側(正面) と比べて、北側は修復が進んでいない。



急勾配の石段を上ったり降りたり、上ったり降りたり、上ったり降りたり、上ったり降りたり!! 肌を焼き焦がす強烈な日差しの下をひたすら歩く。わずかな日陰スポットとなる回廊が涼しそうなので入ってみれば、もわ〜んと熱がこもっていて、身体の芯まで火が通りそう。ここは地獄の石釜か!!


真夏の東京が温室の蒸し暑さなら、乾期のアンコール遺跡観光は、砂漠で火炎放射器くらい太陽が強烈。それじゃ丸焦げですけど!! エアコンの効いた建物への逃げ場がなくて、ほとんどの時間が直射日光を浴び放題。暑い。暑すぎる。肌がヂリヂリ焼けて脳天から煙が出そう。鰹のタタキになったみたい。確実に脳みそが蒸発している気がする。頭の真上に小さな雲が欲しい。手作り雲セットを出して、お願いドラ○もーん!! ・・・という様な事を考えながら黙々と歩く。


■11:50〜12:05
5) 「ピミアナカス」Phimeanakas (見学時間目安15〜30分) ★★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、◎内乱・戦争で混乱(1100年頃)、クメール文化の頂点(1200年頃)]


11世紀初頭、スールヤヴァルマン1世によって創建されたピラミッド型の寺院。「天上の宮殿」という意味がある。いやーん、素敵ー!! 儀式を執り行う重要な寺院であったため、代々の王によって増改築が行われている。



     
修復待ちの石材がごろごろと置かれている。




木陰でくつろぐ、アンコール・チケットのチェックをする人。



   
育ちすぎ。



  
ジェンガ・マニアが1本ずつ抜きたくなるような感じで。




「王宮」は木造だったため痕跡は残っていない。写真は敷地内にある「女池」。




眠れる遺跡の少女。
気持ち良さそうに寝ているけど、石はかなり熱い。




王宮の塔門



■12:15〜12:35
6)「象のテラス」Elephant Terrace (見学時間目安10分) ★★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、内乱・戦争で混乱(1100年頃)、◎クメール文化の頂点(1200年頃)]


12世紀末にジャヤヴァルマン7世が創建、13世紀後半にジャヤヴァルマン8世が改修。王宮前に南北350mにわたって築かれたテラス。王族たちが閲兵を行ったとされる。基壇に象を浮き彫りにすることから「象のテラス」と呼ばれている。


    
テラスに上るとこんな感じで



          
下を歩くとこんな感じで



7)「ライ王のテラス」Leperking Terrace (見学時間目安10分) ★★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、内乱・戦争で混乱(1100年頃)、◎クメール文化の頂点(1200年頃)]


 
ライ王像のレプリカ。本物は首都プノンペンにある。



       
12世紀末にジャヤヴァルマン7世が創建。それ以前にテラスの原型があり、1度崩壊し後世に再構築する際に隠されていた元々の壁面。
テトリスでブロックの隙間を埋めたくなるような通路。外壁と壁の間でカクカクと曲がる。




ライ王のテラスから象のテラス方向



 
ライ王のテラスへ上がる階段へ、ざくざく落ちてくる実。遠い記憶に引き戻されそうになるくらい臭い。ここはどこだ!! 銀杏と、金木犀と、真夏の直射日光でホカホカに温められた生ゴミと、腐りかけのマンゴーを混ぜたような匂い。どんな匂いだ。臭いながらも、ほんの微かに気怠い甘い香りも漂っている。


12:40〜13:20
※昨日と同じ29番の店で昼食。



 
食堂近くのトイレ。アンコール・チケットがあれば無料。
トイレ評価: 7点満点で7点
(床に水溜まりがない、鍵が掛かる、便座がある、トイレ紙がある、個室の中にトイレ紙を捨てるゴミ箱がある、水が流れる、手洗いの水が出る)



■13:20〜13:55
8)「プリア・ピトゥ」Preah Pithu (見学時間目安10〜30分) ★★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、内乱・戦争で混乱(1100年頃)、◎クメール文化の頂点(1200年頃)]


12世紀初頭に建てられたと考えられる、5つの神殿と、2つのテラスからなる仏教寺院。樹々の緑に囲まれた小ぢんまり感がいい雰囲気。
  
円柱で支えられたテラス。



  
テラスの上には枯れ葉。


 
ナーガ(蛇神) の欄干
原作ではレクター博士は指が6本ありました。いきなり何の話だ? というワケで、じゃーん、けーん、パー!!



 
西門。横から見ると奥行きがある。



  
積み上がった石材を乗り越えて中へ。



     
階段は崩れていて上れない。



 
プラサット・スゥル・プラットが見える。




持ち堪えられそうにないんですけど!!



  
彫刻が綺麗に残っている。



   
無造作に置かれている。



9) 「北クリアン」Khleang (見学時間目安10分) ★★
11)「南クリアン」
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、◎内乱・戦争で混乱(1100年頃)、クメール文化の頂点(1200年頃)]


11世紀初頭にジャヤヴァルマン5世とスールヤヴァルマン1世が創建。王宮から勝利の門へと続く道の、南北に対照的に配された建築物。「倉庫」という意味だけど、倉庫として用いられたかどうかは不明。なんだソリャ!! 誰が「倉庫」という名前にしたんだ。年代に差があり、北クリアンの方が先に建てられている。


      
プノンペン国立博物館にあるヴィシュヌ像は、かつては北クリアンに安置されていた。



■14:05〜14:25
10)「プラサット・スゥル・プラット」Prasat Suor Prat (見学時間目安10〜20分) ★★
創建[第一次アンコール都城(900年頃)、勢力分裂から国内統一(1000年頃)、内乱・戦争で混乱(1100年頃)、◎クメール文化の頂点(1200年頃)]


12世紀末にジャヤヴァルマン7世が創建。「綱渡りの塔」と呼ばれているが目的は不明。なぜ、綱渡りの塔と呼ぶ!?


  
象のテラス・ライ王のテラスの正面に、12の塔が横に一直線に並んでいる。




ここから王たちが綱渡りを見ていたという説あり。遠すぎ!! 視力が10.0くらいに良かったものと思われる。



12)「ブリア・パリライ」Preah Palilay



・14:30〜15:00 シェムリアップの繁華街「オールドマーケット」を少し歩いて飲食店をチェック。


・15:05 ホテルに戻って休息。翌日は「アンコール・ワット」の朝日を見てから観光をしたいので、同じトゥクトゥク運転手に1日チャーターを頼む。料金と立寄先を緩く打ち合わせ。5時にホテルを出発し、郊外の遺跡「バンテアイ・スレイ」を含めて回ってもらう予定。30US$。