紀伊半島14 高野山「金輪塔、徳川家霊台、女人堂」


中心部から金輪塔→徳川家霊台→蓮華定院→女人堂方面(徒歩20分)


金剛峯寺多宝塔(金輪塔)

1090年(寛治4年)に明算検校が創建した二間半四面の宝塔で、桧皮葺き、 高さは約18m。本尊は金輪仏頂尊なので金輪塔と呼ばれている。


暗算の明るい検定学校みたいな「明算検校」って何だ!明算は高野山の復興に尽力した、真言宗の明算という名の僧のこと。検校とは「社寺を統括する僧職」で、高野山の場合は一山を統領するスゴイ人。名前と役職か!ちなみに一年交代の「寺務検校執行法印」は、高野山真言宗の最高位の僧職。金輪塔は明算の廟所という説あり。現在の塔は1834年(天保5年)に再建されたもの。


■「徳川家霊台」拝観料200円

1643年(寛永20年)、三代将軍 家光が家康(祖父)と秀忠(父)を祀るために建立した。寺は移転され二棟の霊屋が残る。


建物は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)三間、一重宝形造、一間の向拝を有しており、屋根は瓦棒銅板葺と呼ばれるもの。何を言ってるのか全然分からないんですけど!超訳すると、屋根荷重を支える水平材の長さ約5.4m、梁の長さ約5.4m、正方形の建物で屋根が全部三角形、前方に張り出した屋根が約1.8m、屋根の流れに沿って瓦棒を取り付け銅板を葺いた方式、という感じのこと。



右が東照宮家康公霊舎、左が台徳院秀忠公霊舎。


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中央の虎が龍と麒麟の加護を受けているのが家康。もう一方は、卯年生まれの秀忠を寅年生まれの家康が庇護してる様子とのこと。虎に喰われそうになってガクブルしてる兎にしか見えないけど!


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彫刻スゴイ!柵で近づけなくてチクショーだ。


■「蓮華定院」(内部は拝観不可)
 
関が原で敗れた真田昌幸・信繁(幸村)父子が高野山へ蟄居を命じられた際に、一時的に身を寄せた場所。その後、高野山の女人禁制により九度山善名称院(真田庵)で離れて暮らす妻子の元へ移り住む。寺宝には幸村の書状や、重要文化財に指定されている剣などがあるそうだ。何で真田幸村が人気があるのか分からないんだけど、通り道なので立ち寄り。


■「女人堂」
   
昔は高野山には高野七口と呼ばれる七つの登り口があり、各登り口に女人堂と呼ばれる女性のための参籠所が設けられていた。現在の女人堂は唯一現存するもの。


■「女人道」

1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまで、女性はここより山内に入ることが許されず、細く険しい女人道を通って大師御廟へお参りしていた。