9月の読書感想

■『白の闇』-Ensaio sobrea Cegueira- ジョゼ・サラマーゴ 2001年2月(1995年)★★★★★
交差点で信号待ちをしていた38才の健康な男性が突然、失明した。その視界は暗闇ではなく、眼の眩むようなまっ白い闇の世界だった。親切心から失明した男を自宅まで送り届けた男は、そのまま車を奪って逃げた先で失明。最初に失明した男を診察した眼科医、待合室にいたサングラスの若い女性、斜視の少年も次々と失明した。原因不明の“失明の伝染病”に、政府はかつての精神病院を収容所として、患者と感染の疑いのある者を強制隔離する。


「許可なく建物から出た者は、即刻死亡するものと心得よ」
「いかなる病気が発生しても、あるいは施設内で騒乱や暴動が起きても、患者は外部の応援を当てにしてはならない」
夫の身を案じ、失明を装って夫とともに収容された眼科医の妻は、すべての人が失明した世界で、その恐怖をただひとり目にする事になる。1998年のノーベル文学賞受賞作家。


見る者のいなくなった世界で暴かれる剥き出しの人間性に秩序は崩壊し、人はあまりにも簡単に人でなくなっていく。常識的な話の通じない品性下劣なクソ野郎どもに対峙し、強固な信念を貫く聡明な眼科医の妻が、一寸先は白い闇の絶望の中で自尊心を思い出させてくれる。外国語ニュースの同時通訳のような、ひとりボケツッコミのような、会話を区切らず途切れのない文体には慣れないものの、平易で読みやすい。このまま映像化する事は不可能の壮絶な状況においても、嫌悪感はなかった。11月公開のジュリアン・ムーア伊勢谷友介木村佳乃出演「ブラインドネス」原作。



■『隣の家の少女』-The Girl Next Door- ジャック・ケッチャム 扶桑社ミステリー 1998年7月★★★★
1958年、夏。3人の子どもと暮らすルース夫人の家へ、両親を亡くしたばかりの少女メグと、事故の後遺症で身体の不自由な幼い妹スーザンが引き取られてくる。メグの美しさにたちまち心を奪われた12才の平凡な少年ディヴィッドは、彼女を誘い楽しい日々を過ごすが、地下室で虐待されている姉妹を目の当たりにし、恐怖と好奇心とで傍観する。やがて、妹を庇うメグはシェルターに監禁されるようになり、暴行はエスカレートしていく。


胸クソ悪い小説を書かせたら右に出る者はいないと言われる、キング絶賛作家ケッチャム。理由もなく、人が人を死に至らしめようとする恐怖に引きづりこまれて止められなくなる。実際に起きた事件に着想を得て書かれる事が多いケッチャム作品の中でも、本書は抵抗する術を持たない少女への執拗な暴行に胸クソの悪さもひとしおで、ディヴッドと同じ罪悪感で読者を苦しめる後味の悪さがいい。



■『チャイナフリー 中国製品なしの1年間』

  • A year Without “MADE IN CHINA”One Family's True Life Adventure in the Global Economy-

サラ・ボンジョルニ 東洋経済新報社 2008年7月(2007年) ★★
2004年が終わろうとしていたある日、クリスマスの残骸を片付けていたジャーナリストのサラは、ふと中国製品に占拠されている我が家に愕然。乗り気でない夫を説き伏せ、新年からの1年間にチャイナフリーを敢行する。


子どもたちに米国人の当たり前の生活を送らせようとする夫、意に介さず中国製品を持ち込む実母、中国人のせいだと考える4才の息子、“ちゅーごく”を怖がるようになってしまった1才の娘。次々と故障する家電製品の修理ができず、生産国を調べるため長居した店では万引きを疑われ、日夜出没するネズミ軍団に対し、動物愛護的な中国製か殺傷する米国製かで悩み続ける。愛する家族の不満や我慢、試練とも思える日々を経て、1年後、著者は一つの結論を出す。


安全面や米国人労働者を考えて始めた事ではないため、中国製でなければ、メキシコだろうが、インドネシアだろうが、どこの国のものだろうが、“仕方なく購入する”というスタイル。標準的な家庭で実践するという点が現実的なのは分かるが、除外ルールが多すぎて面白くない。それでも買わないという選択は著者一家にはなく、1年を通して何でもかんでも買いすぎる消費行動にうんざりする。



■『地下室の箱』-Right to Life- ジャック・ケッチャム 扶桑社ミステリー 2001年5月★★
1998年、ニューヨーク。妻子あるグレッグの子どもを身籠ったサラは、中絶のため訪れた病院の駐車場で何者かにさらわれ、どこかの家の地下室で意識を取り戻す。それは終わる事のない暴行の日々の始まりだった。


ラストで「隣の家の少女」とリンクするというので読んだ。確かに、最後のページのある1行に「えええぇーーーーー!?」と驚いたが、冷静に考えればあり得ないので拍子抜け。「隣の〜」を読んでいてそれが何かを期待して読むなら、最後のページだけで充分。本書が大丈夫なら他の作品を読むという、ケッチャムの入門編としていいかも。生きる気力の全てを奪われても、止まる事をやめない人間の心臓の残酷さに打ちひしがれる。