紀伊半島15 高野山「金剛峯寺」


高野山の必見どころは、弘法大師が御入定された聖地「奥の院」、弘法大師真言密教を最初に開いた聖地「壇上伽藍」、襖絵と石庭が有名な「金剛峯寺」の3つ!



高野山で1泊して丸1日観光できるなら1,500円の共通券が断然お得。半日の滞在なら都度支払う方が良いと思う。


■共通券の個別拝観料と所要時間の目安。
金剛峯寺500円・・・必見!超特急60分〜さっくり120分
壇上伽藍 金堂200円、根本大塔200円・・・必見!2箇所のみ60分〜全体さっくり90分〜ゆっくりざっくり120分
徳川家霊台200円・・・ちんまりしてるけど見応えあり。町中心部から行って見て戻って40分〜50分
大師教会 授戒500円・・・短時間でありがたい教えを授かってる雰囲気を満喫。60分。
霊宝館600円・・・いちいち見ていると時間がかかって最後はテキトー。さっくり60分〜90分。


高野山はざっくり観光なら半日で見て回れる小さな町。麓の観光も計画していたものの、結局めんどくさくなって、3日間とも山から下りずにぶらぶら見て過ごした。時間に余裕もあるので、同じ寺院へ2度目、3度目と行ってきたけど、東の端の端の端っこまで歩く奥の院だけは3時間は必要。何度も行くのは大変なので1度だけ。


奥の院観光の所用時間の目安は、町中心部から一の橋(奥の院入口)まで歩き20分戻り20分、一の橋から御廟橋まで写真を撮りながら歩き往40分+復30分+拝観さっくり30分〜ゆっくり60分=140分〜170分。バスを利用すると歩きは半分で御廟まで往20分+復20分+拝観さっくり50分=合計90分。


金剛峯寺と壇上伽藍はそれぞれ3回ずつ訪れた。何度も見たくなる凄いところだったんだ?という事でもなく、金剛峯寺は町の中心部に近くてちょっと歩いただけで行けるから。壇上伽藍は派手な大塔など境内に19の堂塔が建ち並んでいて、いっぺんに色々と見て回れる。失敬!どちらも世界遺産です。


■『金剛峯寺』拝観料500円。所要時間2時間、超特急で観て回って1時間。
高野山は「一山境内地」と称し、山内の全てが寺の境内地にあたり、全体が高野山真言宗総本山金剛峯寺ということ。寺の中に寺だらけ!総本山金剛峯寺という場合は、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指し、金剛峯寺という場合はこの金剛峯寺高野山の本堂は金剛峯寺ではなく、壇上伽藍の金堂が総本堂になる。紛らわし!


金剛峯寺」という名称は、弘法大師が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(愛染明王坐像附)』というお経より名付けられたと伝えられている。


1130年に覺鑁上人(高野山教学中興の祖)が、大伝法院を建立。豊臣秀吉が1590年の興山寺に続き、1593年に生母・大政所の供養として木食応其上人(1585年の秀吉の高野山焼き討ちを思い留まらせた外交僧)に命じて青巌寺を建立。1869年(明治2)に青厳寺と興山寺が統合され金剛峯寺と改める。


国内最大級の石庭「蟠龍庭」、「秀次自刃の間」、「狩野派のふすま絵」、「天皇陛下がお泊まりになった別殿」などが見どころ。


■「正門」

金剛峯寺の建物の中で一番古く、1593年(文禄2年)に再建したもの。昔はこの門を正面から出入りできるのは、天皇・皇族、高野山の重職だけだったそうだ。



本坊拝観の記念品。うっそ、何だろう。お札かな?お札かな?お札かなー ? 高野山の公式キャラクター「こうやくんクリップ」。ペーパーレスのこのご時世に何故にクリップ!しかもこのタイプは紙が数枚しか挟めない。でもカワイイので有難く頂戴しときます。なんだそりゃ。


 
一般には寺紋は1つらしいが、金剛峯寺の寺紋は「五三の桐」と「三頭右巴」の2つ。五三の桐は豊臣秀吉拝領の青厳寺の寺紋。三つ巴は高野山の鎮守・丹生都比売(にうつひめ)神社の定紋


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■「天水桶(てんすいおけ)」
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金剛峯寺の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺で、その屋根の上に置かれているのが天水桶。雨水を溜めておき、火災が発生したときに少しでも類焼を食い止める役割を果たす。いやいや、こんな小さい桶で間に合うのか!


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後方にいた団体ガイドさんの「5色のお手綱が御本尊の手と繋がっているので、両手で握ってお願い事してくださいねー!」という説明を小耳に挟む。この紐か!


なんとなく、祭でハズレを引かされるくじを思い出す。全然ちがう!両手で1本ずつ紐を持って御本尊に心の中でご挨拶。今すぐ雨が止むようにお願い!正しくは、ていうか大人の常識で、1本のお手綱を両手で持つそうだ。やっちゃった、1人1紐で!



土産コーナーで販売していた300円のガイド本を購入。スマホを見ながらが面倒くさい。


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長ーーーい廊下を歩いて、歩いて、歩いて、


・石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」。

弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園された。石は弘法大師ご誕生の地である四国の花崗岩、雲海を表す白川砂は京都のもの。


蟠龍とは天に昇らずに地上でとぐろを巻き、潜んでいる龍のこと。雲海の中、勅使門から見て左に雄龍、右に雌龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されている。石庭の広さは約500坪で、こちら側からしか見られない。


・「新別殿(しんべつでん)」
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1984年(昭和59年)、弘法大師御入定1150年御遠忌大法会の際、大勢の参詣者への接待所として新設された。91畳と78畳の二間の仕切りを外せば169畳の大広間になる。6畳部屋が28個分!


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お茶とお菓子のサービス。9月でもほんと寒くて温かいお茶で手をあたためる。お菓子は最中の皮だけみたいな感じで舌の上に貼りついた。


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きっちり詰めこんで。


壊滅的にゲージュツに無縁の私は、ズラーリと何十枚も続いている「狩野派の画家のふすま絵」を見ても、どんだけ広い畳部屋が必要なんだ、とか「天皇陛下がお泊まりになった別殿」を見ても、いちいち大変だなー、くらいの素通りで。小学生か!